回想してたら、フランスが恋しくなってきた
ボンジュール、ボンソワール、ウィ、シルヴプレ。日本語にも英語にもない、フランス語の響きがすきだ。
きっかけは、映画『アメリ』。確か、5、6年前だ。
映画自体ももちろんよかったけど、「なんか変な発音だなぁ」と最初は思いながら、気付いたら、「YES」という意味の「Oui」(ウィ)がすきになっていた。特に女性がしゃべると、上品に聞こえた。
覚えたい!と思ったから、Youtubeとか本で自分なりに勉強してみた。いつかフランスに行くぞ!と思いながら。
そして、2012年11月、ぼくはパリにいた。人が話す言葉、看板、チラシ、すべてがフランス語であることにテンションがあがって、古風でどこか高級感のある街並みを、ただただ散歩することが楽しかった。
長い歴史のある建物たちが、「おいおい、そんなさっと通りすぎるなよ」と、ぼくの足並みをゆっくりとさせていた気もした。
パン屋のクロワッサンは絶品だらけ。知らない街に行くと、まずはパン屋に行って味わった。パリッ!とする食感と、バターの香りがたまらない。手軽な贅沢。
滞在中は、2週間くらいホテルに泊まったときもあったけど、基本的には知り合った人の家に泊まらせてもらったり、田舎でホームステイしていた。
カンペールという街では、50代夫婦の家に1ヶ月間ホームステイをして、ヤギミルクづくりを毎日手伝った。
毎日決まった時間に起きて、ヤギや羊を広大な敷地に放して、乳搾りをして、専用の部屋でチーズづくりをして、17時になるとまた動物たちを戻して、シャワーを浴びる。みんなで夕食を食べる。21時には就寝。
そんな規則正しくて、自然に囲まれた日々がよかった。
夕食は、きちっと食器を並べて、サラダ、メイン、デザートと順に食べた。レストランでの食べ方は、フランスの文化なんだと知った。
野菜は庭で収穫したものを洗って、そのままどさっと皿に。用意されたナイフをつかって、自分が食べたい分だけ切った。
味付けを好まない夫婦で、テーブルには「使いたかったら使いなさい」と塩がある程度。素材の味を感じれるようになった瞬間。
旦那さんは奥さんの再婚相手みたいで、奥さんは年末には別の家族のところで過ごすために、遠征していった。
毎年のことなのかもしれないけど、旦那さんは寂しいだろうなと思いながら、誰にでもちょっとした事情ってあるよね、と思いながら。
英語はできるけどフランス語はつたないぼくと、フランス語はできるけど英語はつたない旦那さん。
不便ではあったけど、最低限の単語でコミュニケーションはできた。どうにかなるもんだ。
年末には、「お祝いだぞ」と旦那さんがアップルサイダーを出してくれた。ぐいっと一緒に飲んだ。意味は教えてもらったけど、忘れてしまった。アルコールが入ってた気がする。
一緒にホームステイしてた40代イギリス人女性が、こうなんか、おもしろいおばさんで、お互いフランス語がしゃべれないことでの欲求不満を、英語トークでうめたり。
特に深い話をしたわけじゃないんだけど、この人にはまた会って、「あら、げんき?どうよ最近ー!」とかって話したいなぁ。
ボジェというこれまた田舎の街にいったときは、40代夫婦と子供3人が暮らす家にホームステイ。半自給できそうな家庭菜園の管理と、飼育してる馬3頭の世話をした。
敷地内に洞窟と城(といっても廃墟みたいな感じ)があることに、すごく驚いて、たまに洞窟にいっては「あ、ほら!あれ野生のコウモリ!」って旦那さんと散策した。
どうやら、大昔に地下の岩を砕いて、それを材料に城を建てた場所だったらしい。
奥さんは小学校の教師で、旦那さんはパフォーマーといってた。シルクドソレイユみたいな系統の団体に属してるみたいだった。
好きなものはとことん突き詰めるタイプなのか、サンショウウオを家で何百匹と飼育していて、たまに餌になるミミズ狩りに一緒に行ったりもした。机の上は、専門書でうめつくされていた。
1回だけ、4歳の男の子の子守?を頼まれた日があって、「大丈夫?」「なにする?」「たのしい?」と、シンプルなフレーズで必須に会話した。
割と楽しかったし、伝わってたみたい。なんか、フランス語なんとなくしゃべれる自分がいるな、と思った瞬間だった。
そして、1月には、雪が降った。城壁に積もる雪が、幻想的だった。
最後はまたパリに戻ってきて、エッフェル塔とかシャンゼリゼ通りとかルーヴル美術館に行って、観光っぽいことをした。
やたらと目立つ煙をモクモクと吐き出す工場が気になって、いってみたら、結局なんの工場なのかわからなかったこともあった。まぁ、散歩が目的だからいいのだ。
そのあと、おおきな図書館で、読んでも理解できない本に囲まれながら、ふらふらと静かな空間を楽しんだ。
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滞在中には、たくさんの友人に助けてもらった。
初対面の人がほとんどだったけど、アメリのカフェの目の前の家に泊まったときもあった。デザイナーの彼女と、失業中の彼氏が住んでた。
フランスは、失業中の手当が日本に比べて手厚い?みたいで、彼氏は「まぁ、いまは休みつつ、次どうするか考えてるよ」と楽観的だった。
その彼氏の友達は、日本のコミックが大好きで、「ドラゴンボールをみて育ったよ」って言ってた。なんか不思議な感じがした。日本のアニメを見て育ったフランス人が、目の前にいた。
ナントという街でお世話になった20代カップルは、泊まった初日に友人との食事に誘ってくれて、そこで友人が「妊娠したの」って告白(!!!)。
そんな特別な場に初対面のぼくが居合わせたことが不思議だったというか、ぐぐっと親近感がわいた。ウェルカム感が暖かかった。
もうひとり、パリでお世話になった30代の独身男性は、とにかく気遣いが素晴らしくて、毎日朝起きると、テーブルに置き手紙と朝食がおいてあった。
彼とは、日本に帰国後の半年後くらいに再会。友人を連れて日本観光にやってきた。浅草に連れていったり、和食を食べにいったり。少しでもお返しはできたかな。
そういえば、パリに行ったときによく言われたのが「君はパリ症候群になってない?」ってこと。どうやら、フランスに過度な期待をして、落胆する人が多いらしい。
道に落ちてるイヌのフ◯とか、タバコの吸い殻とか、そういう細かいことで「思ってたのと違う」ってなっちゃうらしい。
ぼくはむしろ初めてフランスに行って、想像以上に楽しかった。多分、フランスの文化とか、言葉とか、雰囲気に惚れたんだと思う。観光地はToDoリストをチェックするみたいに、とりあえず行ってみただけだったし。
フランスに初めて興味をもったとき、フランスに初めて降り立ったとき。そんなときのことを思い出すと、胸がむずむずする。また行きたい、愛おしい国、会いたい友人がいる。
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フランスにいたときは、こんなサービスを活用して泊まり先をみつけてました。カウチサーフィンはだいぶ日本でも浸透してきたのかな。
「WWOOF」(ウーフ)は、年会費はかかるけど(国ごとにサイトが別々)、農業系ボランティア探しにはけっこう役立ちます。
最近フランス語に触れ合ってるときっていうと、この曲を聴いてるときくらいかなぁ。歌ってるのは、ケベック(カナダ)出身の人だけど。 活動名は「海賊の心」って意味らしい。
Coeur de pirate - Drapeau blanc [Vidéoclip officiel]